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  • ポーカー界の伝説 ドイル・ブランソン:テキサス・ドリーが遺したもの

    最近、ポーカー界に大きな喪失がありました。2023年5月14日、私たちはポーカーの「ゴッドファーザー」こと、ドイル・ブランソン氏を失いました。彼が残した功績と伝説は計り知れません。私にとって、ドイル・ブランソンは単なるポーカープレイヤーではなく、ポーカーというゲームの歴史そのものを体現する存在でした。

    このブログでは、彼の波乱万丈な人生、伝説的なキャリア、そしてポーカーの世界に与えた計り知れない影響について、私の視点からお話ししたいと思います。

    ポーカーに魅せられた若きアスリート

    ドイル・ブランソンは1933年、テキサス州ロングワースの小さな町で生まれました。幼少期から類まれな運動神経を持ち、バスケットボールの才能に恵まれていました。ミネソタ・レイカーズ(現在のロサンゼルス・レイカーズ)からスカウトされるほどの選手でしたが、膝の怪我によってプロアスリートの夢は絶たれてしまいます。

    この怪我が、彼をポーカーの世界へと導きました。彼は大学時代からポーカーにのめり込み、その天性の才能を開花させます。当時のポーカーは、今のような華やかなカジノゲームではなく、薄暗い裏社会と隣り合わせの危険な「ロードギャンブル」でした。銃を持った強盗に遭遇したり、命の危険を感じるような状況も少なくなかったと彼は語っています。

    「初期のポーカーは、まさに西部劇のような世界でした。いつでも何が起こるかわからない。私は生き残るために、最高のゲームをしなければならなかった。」

    彼はテキサス州を放浪し、旅のギャンブラーとして生計を立てていました。後にポーカー界のレジェンドとなるアマリロ・スリムやパギー・ピアソンといった面々ともこの時期に出会い、共に切磋琢磨したと言われています。このロードギャンブルの経験が、彼の鋼のような精神力と、どのような状況でも冷静でいられる、揺るぎないプレイスタイルを築き上げたのです。

    WSOPでの圧倒的支配と「ドイル・ブランソン・ハンド」の誕生

    1970年代に入り、舞台はラスベガスのワールドシリーズオブポーカー(WSOP)へと移ります。ドイル・ブランソンは、この新興のポーカーイベントでその名を世界中に轟かせることになります。特に伝説的なのが、1976年と1977年の2年連続でのメインイベント優勝です。

    メインイベントで連覇を果たすだけでも驚異的ですが、彼がこの2度とも勝利を決めた手札が、今やポーカーファンなら誰もが知る「10-2オフスーテッド」だった、というのが信じられない話です。この手札は、一般的に弱いとされ、ほとんどのプレイヤーはフォールドしてしまうような手札です。しかし、彼はこの手で勝利を掴み取り、以来「ドイル・ブランソン・ハンド」として世界中で語り継がれるようになりました。

    これは単なる偶然ではありません。彼の並外れた読解力、ブラフのタイミング、そしてプレッシャーの中でも最大限の力を発揮する能力が、この「弱い手札」を勝利へと導いたのです。

    彼はWSOPで通算10個のブレスレットを獲得しました。これはフィル・ヘルムースの17個に次ぐ歴代2位の記録であり、彼のポーカーキャリアの偉大さを物語っています。

    年 (Year) トーナメント (Tournament) ゲーム形式 (Game Format) 獲得賞金 (Winnings)
    1976 $10,000 No-Limit Hold’em Main Event テキサスホールデム $230,000
    1977 $10,000 No-Limit Hold’em Main Event テキサスホールデム $340,000
    1978 $5,000 Seven-Card Stud セブンカードスタッド $68,000
    1979 $10,000 No-Limit Hold’em テキサスホールデム $185,000
    1991 $2,500 No-Limit Hold’em テキサスホールデム $208,000
    1998 $1,500 Seven-Card Stud セブンカードスタッド $93,000
    2003 $2,000 H.O.R.S.E. H.O.R.S.E. $84,000
    2005 $5,000 No-Limit Hold’em (Short-Handed) テキサスホールデム $367,800
    その他2個 (省略)

    (注:上記の賞金は当時のものです。)

    ポーカー戦略の聖書「スーパーシステム」

    ドイル・ブランソンの功績は、プレイヤーとしての腕前だけにとどまりません。1979年に出版された彼の著書「スーパーシステム(Super/System)」は、ポーカーの世界に革命をもたらしました。これは単なる戦略本ではありませんでした。それまでのポーカーの「秘密」とされていたプロの知識や戦略を惜しみなく公開した、まさにポーカー戦略の「聖書」と称される一冊です。

    この本には、ドイル自身だけでなく、チップ・リース、ジョニー・チャン、デイビッド・サイモンといった当時のトッププレイヤーたちの戦略が集約されており、多くのポーカープレイヤーが本書から学び、スキルを向上させました。私自身も、ポーカーを始めたばかりの頃に読み、その深さに衝撃を受けたことを覚えています。現在のポーカーの定石や理論の多くが、この「スーパーシステム」を源流としていると言っても過言ではありません。

    世代を超えて愛された「ポーカーのゴッドファーザー」

    彼がなぜ「ポーカーのゴッドファーザー」と呼ばれたのか、その理由の一つに、彼の驚くべき長寿と適応能力が挙げられます。彼はインターネットポーカーの時代が到来し、統計学やGTO(Game Theory Optimal)理論が主流となる中でも、トップレベルで戦い続けました。

    彼は常に学び続け、変化するゲームに適応しました。若い世代のオンラインプロたちとも対等に渡り合い、彼らからの尊敬を集めていました。健康面では、癌を複数回克服し、奇跡的な回復を見せてきました。そのたびに「不死身のドイル」と称され、その不屈の精神は多くの人々に勇気を与えました。

    彼の言葉の中でも、特に印象的なものがあります。 「もし30分以内にテーブルでカモを見つけられないなら、そのカモはあなただ。」 この言葉は、ポーカーにおける観察力と自己認識の重要性を的確に表しており、私も常に心に留めています。

    家族を大切にする一面も持ち合わせていました。妻のルイーズとの間には、息子ドイルⅡ(トッド・ブランソン)もプロポーカープレイヤーとして活躍し、娘には双子の兄妹がいたそうです。長きにわたりポーカーの世界に身を置きながらも、家族との絆を大切にする姿は、多くの人々に感銘を与えました。

    ドイル・ブランソンが遺したもの

    ドイル・ブランソンの死は、ポーカー界にとって大きな損失ですが、彼が残した遺産は永遠に色褪せることはありません。彼の功績と影響は、多岐にわたります。

    ポーカー戦略の発展: 「スーパーシステム」を通じて、ポーカーの理論と戦略を一般に広め、ゲームの進化を加速させました。
    WSOPの世界的認知度向上: 伝説的なプレイと存在感で、WSOPを世界的なイベントへと押し上げる一役を担いました。
    プロポーカープレイヤーの模範: 誠実さ、粘り強さ、そして常に学び続ける姿勢は、多くのプロプレイヤーにとっての指針となりました。
    「10-2」ハンドの伝説化: ポーカーの定説を覆すような彼のプレイは、ゲームに物語とロマンを与えました。
    FAQ:ドイル・ブランソンについてよくある質問

    Q1: ドイル・ブランソンはいつ亡くなりましたか? A1: 2023年5月14日に逝去されました。享年89歳でした。

    Q2: 彼が「テキサス・ドリー」と呼ばれたのはなぜですか? A2: 彼はテキサス州出身であり、その愛称から「テキサス・ドリー」として親しまれるようになりました。

    Q3: 彼の有名なポーカーハンドは何ですか? A3: 「10-2オフスーテッド(異なったスートの10と2)」です。彼がWSOPメインイベントをこの手札で2度制覇したことから伝説となりました。

    Q4: 彼の著書「スーパーシステム」はどんな本ですか? A4: 1979年に出版された、ポーカー戦略に関する画期的な本です。当時のトッププロたちの戦略が詳細に解説されており、「ポーカーの聖書」とも称されます。

    Q5: 彼はどれくらいのWSOPブレスレットを獲得しましたか? A5: ワールドシリーズオブポーカー(WSOP)で通算10個のブレスレットを獲得しました。これは歴代2位の記録です。

    最後に

    ドイル・ブランソンという一人の男が、ポーカーというゲームに与えた影響は計り知れません。彼は私たちに、単なるカードゲームの技術だけでなく、人生における粘り強さ、適応力、そして常に学び続けることの重要性を教えてくれました。

    彼のプレイスタイル、知恵、そして温かい人柄は、これからも世代を超えて語り継がれていくことでしょう。私たちがポーカーテーブルに着くたびに、彼の精神が私たちの中に息づいていることを感じます。

    テキサスの砂埃の中から現れ、ラスベガスのネオンの下でポーカーの歴史を築き上げた「テキサス・ドリー」。彼の伝説は、永遠に不滅です。

    安らかにお眠りください、ドイル・ブランソン。あなたのゲームと精神に、心からの感謝を込めて。